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    カテゴリ: 男優

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    上地雄輔(44)が、近藤真彦(59)とグラスを手に笑顔で乾杯する姿をSNSに公開して反響を呼んでいる。上地のファンも「凄い2ショット!! 雄ちゃんほんとに交友関係広いね!」と驚くほど意外な組み合わせだ。上地の「マッチさんも小中と野球やってたんだよ~」という投稿から、野球の話に華が咲いたことは想像に難くない。しかし上地が初めて近藤を意識したきっかけは、野球ではなかったようだ。およそ14年前、上地がそのことに触れていた。

    神奈川県横須賀市出身の上地雄輔は、子どもの頃から野球が得意で小学校中学校時代は日本代表に選ばれた。横浜高校ではキャッチャーを務め、松坂大輔とバッテリーを組んで甲子園を目指したことは語り草になっている。一方、近藤真彦は少年野球チームに所属していたところ、チームの監督の娘が事務所に写真を送ったことがきっかけとなり、芸能界に入ったというエピソードで知られる。

    1979年からテレビドラマ3年B組金八先生』(TBS系)で生徒役を務め、田原俊彦野村義男とともに「たのきんトリオ」と呼ばれて一世風靡した近藤真彦。ソロ4枚目シングル『ギンギラギンにさりげなく』が大ヒットして紅白に初出場したのは1981年のことだった。

    上地雄輔1999年に俳優としてデビューすると、2002年テレビドラマごくせん』(日本テレビ系)に生徒役で出演した。その後、2007年に『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)で“おバカタレント”として注目を集める。2009年から「遊助」名義でアーティストとしてソロ活動をはじめ、12月11日放送の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に出演してファーストアルバム『あの・・こんなんできましたケド。』の収録曲『羽』を披露した。そのときに出演していたアーティスト桑田佳祐槇原敬之浜崎あゆみ、そして近藤真彦だった。

    旧ブログ『神児遊助』で、2009年12月12日に『ミュージックステーション』を振り返った上地雄輔。自分が2歳の頃、生まれて初めて歌った曲が『ギンギラギンにさりげなく』だったことを母親から聞いたという。しかもその話を横に座っていた「マッチさん」にしたそうだ。

    Mステ』で共演してから時は経ち、会食する間柄となった上地雄輔近藤真彦。きっと野球や歌の話で盛り上がったことだろう。特に上地は2024年NHK大河ドラマ光る君へ』の出演が決まっただけに、俳優としても先輩である近藤からいろいろ教えてもらえたのかもしれない。

    画像2~4枚目は『上地雄輔(#遊助) 2023年8月30日Twitterマッチさんも小中と野球やってたんだよ~」、2023年8月31日Twitter「もぅあと3回かぁ…」』『上地雄輔 遊助 2023年4月9日Instagram「今日でぴったり15年らしい」』のスクリーンショット
    (TechinsightJapan編集部 真紀和泉)

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    (出典 news.nicovideo.jp)


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    俳優の森崎ウィンが、日本テレビ系ニュース番組『news zero』(毎週月~木曜23:00~、金曜23:30~)の9月の金曜パートナーに決定した。

    ミャンマーで生まれ育ち、日本語がほとんど話せない中、小学4年生で来日した森崎は、中学2年生の時に町中でスカウトされたことがきっかけで芸能活動を開始。現在は日本語の他にも、ミャンマー語と英語を話すトリリンガルだ。

    2018年に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』で主要キャストに抜てきされ、ハリウッドデビューを果たした。

    国内では、2020年に映画『蜜蜂と遠雷』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。他にも、ミュージカルピピン』(22年)で主演のピピン役、今年人気コミックSPY×FAMILY』が初めてミュージカル化された際には、主演のロイドを務めるなどミュージカル俳優としても活躍している。

    さらに、母国ミャンマーでは観光大使を務め、現地のドラマやCMに数多く出演。アジアから、世界に発信するエンターテイナーを目指し、MORISAKI WINとして音楽活動も行っている。
    ○■森崎ウィン コメント

    ――報道番組へ挑戦することについて

    報道番組ということで、非常に嬉しいと共に責任感を感じています。世の中を知る窓口として報道番組は僕らの日常には欠かせないと思っております。緊張もしますが、視聴者の皆様が明日への活力になるよう精一杯努めます。

    ――news zero の印象

    昔からよく家族と共に視聴していた番組でもあり、僕にとっては世の中を学ぶ番組の一つでもあり、1日の終わりに寄り添ってくれるような存在の番組です。

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    画像提供:マイナビニュース


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    モデルプレス=2023/08/31】俳優の大東駿介らが所属する芸能事務所「A.L.C.Atlantis」が営業終了することがわかった。31日、同事務所の公式サイトにて発表された。

    【写真】大東駿介、対人恐怖症だった過去 「野ブタ」当時も「カメラが怖くて」

    ◆大東駿介らの所属事務所が廃業

    事務所は「営業終了のお知らせ」とし、「A.L.C.Atlantis有限会社は、諸般の事情により2023年8月31日を限りとして廃業致します」と発表。「所属俳優におきましては他事務所様へ移籍し、活動を続けてまいりますので、今後とも応援して頂けますと幸いです」と報告し、「皆様の長年にわたるご厚情に心から感謝申し上げます」と結んでいる。

    また、大東のマネージャーが運営する公式X(旧Twitter)も「大東駿介の今後につきましては、明日以降改めてご報告致します」と伝えている。

    なお、同事務所には現在放送中のNHK連続テレビ小説らんまん」に出演している大東のほか、内倉憲二、伊藤麻実子、生越千晴らが所属していた。(modelpress編集部)

    事務所コメント全文

    営業終了のお知らせ

    平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。A.L.C.Atlantis有限会社は、諸般の事情により2023年8月31日を限りとして廃業致します。

    尚、所属俳優におきましては他事務所様へ移籍し、活動を続けてまいりますので、今後とも応援して頂けますと幸いです。皆様の長年にわたるご厚情に心から感謝申し上げます。

    A.L.C.Atlantis有限会社
    代表取締役 吉田晏子

    Not Sponsored 記事】

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    大東駿介(C)モデルプレス


    (出典 news.nicovideo.jp)


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    (写真:TOBE公式YouTubeより)

    SNSを通じてファンと頻繁に交流していますが、本格的な芸能活動はまだスタートしていません」

    こう語るのは音楽関係者。

    今後の具体的な活動は明らかになっていない平野紫耀(26)だが、ひそかに新プロジェクトの準備を進めているという。

    「平野さんはTOBEとの合流を発表したのとほぼ同時に、会社を設立しました。その名は『株式会社紫耀』。平野さん自身が代表取締役を務めています」(前出・音楽関係者)

    株式会社紫耀」の会社登記には、アーティストマネジメントコンサートの運営などが会社の目的として掲載されている。

    さらに気になる項目が。

    ダンススクールダンススタジオの運営及びダンスインストクターの養成及び派遣》

    と記されているのだ。

    高いダンススキルで知られる平野。彼から直接ダンスを教わる機会があるということかーー。

    「平野さんは7歳のころ、地元・名古屋ダンススクールに通い始めました。弟の莉玖さん(24)とユニットを組んでダンスの大会に何度も出場するなど、名古屋では有名な兄弟でした。

    スクールの先生は、平野さんのことを“10年に1人の逸材”と言っていました」(アイドルライター

    当時から平野は“指導者”としても才能の片鱗を見せていた。

    スクールには平野兄弟に憧れる子どもは多く、平野さんは幼児たちにいつも笑顔でダンスを教えていたそうです。

    大会で成績を残しながらも天狗になることはなく、楽しそうに教える姿は親御さんたちからも好評だったといいます」(前出・アイドルライター

    ジャニーズ時代の仲間たちからも、ダンスにおける信頼は厚い。

    「多忙を極めるKing&Princeメンバーに平野さんが代表してダンスを教えることも多く、『紫耀は教え方がうまい』と言われていました。先輩や後輩も、ダンスの実力には一目置いていました」(前出・音楽関係者)

    平野のダンススクールについて問い合わせると、TOBEの担当者は「平野の会社の業務についてのお話ですので当方からはお答えしかねます」とコメントした。

    かつて平野はインタビューで次のように語っている。

    《多いときは1日7時間練習してました。性格的に冷めやすかったんですけど、ダンスだけは冷めなかったんですよね》(『Myojo’22年7月号)

    「平野さんは天賦の才にも甘えず努力を重ねる人。きっと子どもたちに対しても、“練習第一”の魂を教えるのでしょう」(前出・アイドルライター

    後進の育成にも踏み出す平野。憧れの世界進出へ向け、“第二の平野紫耀”が生まれる日も、そう遠くはなさそうだ。

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    (出典 news.nicovideo.jp)


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    俳優、声優、YouTuberとして幅広いフィールドで活躍中の染谷俊之の魅力に迫るWEBテレビジョンの連載「月刊染谷WEBマガジン」。毎月、深掘りインタビューを敢行し、仕事の近況からプライベートまで、事務所NGギリギリの質問をぶつけて“染様(染谷俊之の愛称)”を丸裸にします。今年デビュー15周年の節目ということで、第21回はこれまでの俳優人生を振り返ってもらいました。

    【写真を見る】これまでの俳優人生を振り返る染谷俊之

    ■一度は諦めた芸能界。母親が取った行動が運命を変える

    ──デビュー15周年おめでとうございます! まずは芸能界に入ったきっかけを教えてください。

    今年で15周年って、最近知りました。なのであまり実感がないのですが(苦笑)。芸能界に入ったのは19歳のときです。事務所の社長が経営しているブティックにたまたま母親が行っていて、「芸能事務所もやっている」という話を聞いて「ウチの息子どうですか?」と写真を見せて売り込んだのがきっかけです。

    ──もともと芸能界に興味があったのですか?

    そうですね。中学生のとき、クラスの女子がいろいろな事務所に僕の履歴書を勝手に送っていて、とある事務所に合格したんです。「だったらやってみようかな」と思い、高校生になってから、その事務所が運営する養成所に通っていた時期がありました。でもすぐに辞めちゃって、将来は教師になろうと進路を変更しました。

    ──クラスの女子が履歴書を勝手に送るって、ほんとにあるんですね! 休み時間に別のクラスの女子生徒が見に来るくらい目立つ存在だったのですか?

    見に来ていましたね(笑)。僕がちょっとズルかったのは、中学に入学するタイミングで引っ越しをしたんです。だから同じ小学校出身の子が全くいなくて、転校生みたいな感じでした。転校生って、目立つじゃないですか? それも影響していたと思います。

    ──そんな女子たちの推薦で合格した芸能事務所をどうして辞めてしまったのですか?

    養成所で演技の基礎を学んでいたのですが、全然うまくできませんでした。初めて人前でセリフを喋る稽古をしたとき、緊張して頭の真っ白になっちゃって。「やっぱり僕には、この仕事は向いていないな」と思いました。

    ──それがどうしてまた、今の事務所に入ろうと思ったのですか?

    当時は大学生で、教員を目指して勉強していました。でも母はもちろん、僕が高校生のときに養成所に通っていたことを知っているので、「もしかしたらまだ興味があるのではないか」と社長に写真を見せたそうなんです。それで「一度、社長さんに会いに行って」と母に言われ、「会うくらいなら」と軽い気持ちで行ったら、いきなり宣材写真を撮られて。実は社長の中ではすでに合格だったみたいです。なので大学生の間だけ、アルバイト的な軽い気持ちで「もう一度やってみよう」と思ったんです。それで演技のワークショップに参加して、徐々にエキストラとしてドラマや映画に少しだけ出させていただくようになりました。

    ──エキストラとして最初に出演した作品を覚えていますか?

    確かドラマ「栞と紙魚子(しみこ)の怪奇事件簿」(2008年)だったかと思います。前田敦子さんと南沢奈央さんがダブル主演で、学生服を着て、2人の後ろを通るだけだったのですが、めちゃくちゃ緊張しましたね。映画だと、中村優一くん主演の「体育館ベイビー」(2008年)。高校の競泳部の話だったんですけど、その他大勢の部員の1人でした。真冬の撮影でプールがすごく寒かったのを覚えています。

    ■辛い下積み時代を経て、25歳でついに大役をつかむ

    ──芸能活動をしつつも、あくまでも将来の目標は教員とのこと。それがどうして俳優の道に進むことになったのでしょうか?

    転機になったのは、ドラマ「恋して悪魔~ヴァンパイアボーイ~」(2009年)です。オーディションに受かって、主演の中山優馬くんのクラスメイト役で、そんなに多くはなかったんですけど、セリフもありました。その撮影と教育実習の時期が重なってしまい、どちらかを選ばなければいけなくなったんです。すごく悩みましたが、これまでワークショップでコツコツ頑張ってきて、せっかくオーディションにも受かったので、結局ドラマを選びました。

    ──それからは芸能活動一本に絞ったわけですね。

    そうですね。大学4年になると単位をほとんど取っていたので時間に余裕ができて、そこからは舞台にも本格的に挑戦するようになりました。初めての商業用の舞台で役をいただいたのが、22歳のときの「ロイヤルホ☆ト」(2010年)。そんなに重要な役ではなかったんですけど、ホストの1人を演じさせてもらいました。

    ──以降は順調にキャリアを重ねていったんですか?

    その後すぐに、アンサンブル(役名のないキャスト)なんですけど冒頭で台本5ページくらいの長セリフがある役をいただいたりもしましたが、基本的にはしばらく下積みが続きました。なので当然アルバイトもしていました。いろいろやりましたけど、長かったのが焼き鳥店。めちゃくちゃ過酷でしたね。深夜のシフトに入って、夜10時から朝6時まで働いて、家に帰ってちょっと仮眠を取ってから舞台の稽古に行く、みたいな毎日でした。でもまだ20代前半と若かったですし、自分がやりたくてやっていたことなので苦ではなかったですね。

    ──そして2012年ミュージカルテニスの王子様2ndシーズン」の平古場 凛(ひらこば りん)役を射止めました。

    それまでオーディションで落ちることが多くて、さすがにずっとアルバイトで生活をしていくのは厳しいと考え始めていました。それで「25歳までに芽が出なかったら役者を辞めよう」と決心したときに、ちょうど「テニスの王子様」のオーディションに受かったんです。この作品で多くの方に、染谷俊之の顔と名前を知ってもらえるようになり、アルバイトを辞めることができました。そういう意味では、大きな転機となった作品です。

    ■「僕にとってはいつでも全盛期」。この瞬間を全力で駆けていく

    ──以降は舞台や映像を中心に俳優として広く活躍され、声優やYouTubeなどにも挑戦されています。改めてどんな15年でしたか?

    長いようで、あっという間でしたね。裏を返せば、すごく充実した15年間だったと思います。(主演映画の)「カニを喰べる。」シリーズをはじめ、過酷な撮影も多くて、けっこうな修羅場をくぐり抜けてきたと自負しています。デビュー10周年のときは、記念の写真集を出したので、今回も何かできればいいなと思っています。

    ──染谷さんについて、最新主演映画「パラダイス/半島」(2023年)の稲葉雄介監督は「気持ちを盛り上げたり、クレバーに頭で考えたりと、シーンに応じて切り替えることができる俳優」と評していました。15年間キャリアを重ねてきて、演技に対する意識など、以前と変わってきたことはありますか?

    いい意味でどんどん柔軟になってきていると思います。20代のころ、僕はけっこう頑固で「絶対にこう演じるんだ」と意地になっていた部分がありました。でも30歳を越えて「相手役の役者さんがこう演じてくるならば、ここはこうしてみよう」と柔軟に対応できるようになりましたね。「演技をガチガチに決めなくてもいいんじゃないか」と思う反面、譲れないところは自分の意志を貫くというふうに、メリハリをつけています。

    ──最後に20周年、30周年に向けて、今後の抱負をお願いします。

    まずは感謝の気持ちを忘れず、今後もいただけるお仕事を精一杯頑張りたいです。(仕事が)なくなるのが一番怖いので、忙しいくらいがちょうどいいですね。昨年末、マネージャーさんと「2023年は忙しくしよう」と話し合って、実際に上半期はけっこうバタバタしたんですが、こういう忙しさも久しぶりで楽しいなと思いました。今後20周年、30周年を迎えても、基本的なスタンスは変わりません。僕はいつでも全盛期だと思っています。今年で36歳になるんですが、この年齢だからこそ、できることもたくさんあります。だからこそ、この瞬間を精一杯駆け抜けていきますので、今後とも応援をよろしくお願いいたします!

    取材・文=河合哲治郎


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    デビューからの15年について語る染谷俊之/撮影=岩堀和彦/スタイリスト=岩田友裕/ヘア&メーク=中元美佳


    (出典 news.nicovideo.jp)


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