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    カテゴリ: グラビア・コスプレ

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    1 ネギうどん ★ :2024/03/06(水) 10:38:20.96 ID:LwC+H9XO9
     人気コスプレイヤーえなこ(30)が5日深夜放送のテレビ朝日「イワクラと吉住の番組」(火曜深夜0・15)に出演。戻りたくない過去の思い出について語った。
     えなこは「絶対に戻りたくない年齢は?」の質問に「22歳」と回答。当時は現在の事務所に入りたての年で「コスプレーヤーを仕事としてやっている方が本当にいない時代だったんですね。それもあったと思うんですけど、テレビの収録に行った時にメークさんが私を無視していた」と明かした。

     「私は仕方なく、掃除道具とかをかけてあるところに衣装とかを置いていって、そこでコソコソ着替えてそのまま出て行きましたね」と話すと、MCのピン芸人・吉住は「頑張ったね~」となぐさめた。

     えなこは「下積み時代に私は絶対に売れて鏡をメークさんに貸してもらえるように頑張ろう」と決意したことを明かした。しかし、意外にも低い目標設定だったことに、吉住は「思ってたより目標低い。その経験したらもうちょっと上にいってもよかったと思うけど」とツッコんで笑わせた。えなこはさらに「当時のテレビ局とメークさんのことは忘れていません」と現在の活躍のモチベーションになっていることも明かした。
    OIF

    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/03/06/kiji/20240306s00041000173000c.html

    【【芸能】えなこ 下積み時代に無視され掃除道具入れの前で着替えた過去「テレビ局とメークさんのことは忘れてない」】の続きを読む

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    1 jinjin ★ :2024/02/26(月) 01:18:21.47 ID:lh3E3XAX9
    グラビア界席巻の田中美久さん プールサイドやベッドで悩殺ポーズ バンドゥビキニでバストラインあらわ


    年末にアイドルグループHKT48を卒業した田中美久さん(22)が表紙を飾るグラビア誌「blt graph.vol.99」(東京ニュース通信社、29日発売)のカバー画像&付録ポスター&ショップ別特典画像が公開されました。


    卒業以降、グラビアや女優業を中心に幅広く活動し、2月29日(木)放送開始のドラマ「シンデレラ・コンプレックス」(MBSほか)では連続ドラマ初主演を務めるなど注目を集めている田中さん。

    表紙には、パープルのバンドゥビキニを着て、挑発的なまなざしをこちらに向ける印象的なカットが採用されました。新たなスタートを切ったみくりんの今までにない大人の魅力が凝縮された1枚になっています。


    今回のグラビアは、優雅なホテルの一室やバスルーム、暖かい陽の光が差し込むプールで撮影に臨みました。12歳でHKT48に加入。

    約10年間アイドルとして走り続け、新たな一歩踏み出した今だからこそ見せる姿を綺麗に撮り下ろしています。


    https://news.yahoo.co.jp/articles/46359680085056b282fae9152aa84ae07fa123db

    (出典 i.imgur.com)


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    1 フォーエバー ★ :2024/02/23(金) 10:54:38.37 ID:+AmDa0ut9
    2/22(木) 11:10配信


    (出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
    ?exp=10800

    デイリー新潮
    デイリー新潮Xアカウント(@dailyshincho)にてチェキプレゼントキャンペーンを開催中(撮影・徳重龍徳)

     グラビア業界の出来事を、グラビア評論家の徳重龍徳が振り返る連載「上善は水着のごとし」。今回は2024年にグラビアでの活躍が期待される一ノ瀬瑠菜(16)をインタビュー。アイドルグループ「シャルロット」のメンバーであり、昨年「ミスマガジン2023」読者特別賞に輝いた期待の新星だ。グラビアへの思いから、今後の夢まで笑顔で語ってくれた。

    【写真25枚】“可愛さ”が自己肯定感に繋がらなかった過去…今は「グラビアでロケに行ったり楽しい!」

     Tiktokでバズっている乃紫の「全方向美少女」という曲をご存じだろうか。「正面で見ても横から見ても下から見てもいい女」というキャッチーな歌詞と曲調で、自己肯定感が上がると若い女性を中心に人気となっている。

     一ノ瀬を最初に見た時、この曲を思い出した。正面から横から上からと、どの角度から切り取っても紛れもなく美少女だった。透明感があり、可愛く、今っぽさもある。

     ただ一ノ瀬にとっては曲のように、可愛さが自己肯定感には繋がらない場面もあった。

    「高校に入学前、誰かがネットに私の写真を勝手に上げていたみたいで、高校に入ったら、他のクラスの子が私のことを見に来るんですよ。いつの間にかファンクラブができていて、毎朝、男の子に机を囲まれて『ファンクラブ~番の者です』って何人にも言われて……。目立ったことで、クラスの女の子にも馴染めなくなって。しんどかったですね。それで学校を辞めました。だから同年代が苦手。怖かったです」

     学校になじめないことを事務所の社長に相談する中、アイドル活動をすることを提案され、現在は5人組アイドルグループ「シャルロット」のメンバーとしても活動する。ミスマガジン2024には同年代が多いが「みんな芸能界にいるし、大人の人と関わっているから、学校の子と違って優しいです」と仲が良いという。

    週4でオーディションも苦心の日々
     芸能界入りは小学校5年生の頃。スカウトを受けて事務所に入った。

    「ただオーディションは週4回受けるんですけど、1個も仕事が決まらなくて……。落ちるたびに凹みましたし、もういいやと中学2年生の時に事務所を辞めたんです。それでも今の事務所に入って、最後のチャンスだと思って頑張りました。ずっと俳優志望でやってたんですけど、それだけじゃダメだなと思って、グラビアの話がきたらやってみようと思いました」

     15歳の頃、事務所の先輩である藤本沙羅とともに「週刊プレイボーイ」編集部を訪れた。

    「その時、編集の方から『グラビアはもうちょっと後になってから出そうね』と言われて、16歳の誕生日に出しました。水着の面積が思ったより小さいんだなとは思いましたけど、水着になることには抵抗はあんまりなかったです。ただ撮影前のテスト撮影で編集の方やカメラマンさんの前で水着になるのはちょっと恥ずかしかったです(笑)」

     初々しい姿が週プレに掲載されると、多くの人の目に留まった。SNSのフォロワーが一気に増え、「B.L.T.」や「BOMB」などへの掲載に繋がった。さらに同時期に参加していたグラビアオーディション「ミスマガジン2023」では読者特別賞に選ばれた。

    「選ばれるとは思っていなかったです。(選考企画にあった)配信は苦手だったので。それにベスト16の子たちってかわいい子が多かったじゃないですか。これは難しいなと思って。そうしたら社長から『1年間頑張れる?』ってミスマガに選ばれたと電話があって『任せてください』って答えました。自信だけはあるんですよ(笑)」

    次ページは:「楽しいことがなかった」

    https://news.yahoo.co.jp/articles/de2a69f7f3cee7b913e84100f1b635aa8cc3d457?page=1

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    1 征夷大将軍 ★ :2024/01/10(水) 22:06:36.39 ID:A4Th34729

    (出典 tokyo-sports.ismcdn.jp)


    東スポ
    https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/288534
    2024年1月10日 21:32

     グラビアアイドルの日里麻美(38)が、彼氏を絶賛募集中だ。

     作家で東京・渋谷でバーを営む林伸次氏のYouTubeチャンネル「渋谷bar bossa マスター林チャンネル」に出演した日里は、彼氏ができないと自らの恋愛について赤裸々相談だ。

     日里は「ミス東スポ2017グランプリ」に輝くなど〝見た目〟は文句なしのはず…。しかし恋愛に関してはこれまでに1人しかつき合ったことがないというトホホな経歴で「出会いはあるものの交際にまで発展しない」と告白。デートはしているというが、林氏から「デートのあとの大人っぽいことは?」と聞かれると、「してないです。東京来て初めていい感じになった方は何回もデート重ねてお泊まりデートもしたけど、手を出されず、3日後くらいにフラれた」と、悲しすぎる結末だったという。

     その後も何人かとお泊まりデートはあったようだが、「夜に何もなく朝を迎え、その人が朝起きて私に発した第一声が、『あさみん、歯ぎしりしてたよ』って。それで悟りました」、「手を出されそうになった人に『手を出されたら好きになるよ』って言ったら、頭ぽんぽんってされて、先に寝られました」など、いかんともしがたい非モテっぷりだ。

     揚げ句の果てには、知らないうちに既婚者に手を出してしまったようで、連絡を取ったら「『主人への連絡はお控えください』って言われてビックリしました」と、危機一髪の体験もあったという。

     自身のモテない理由について「体の一部から臭い体液が出てるのかな」と冗談めかした日里だが、彼氏が欲しいという思いは本気の様子。9日にはX(旧ツイッター)で、「1/11で募集締め切りだそうで興味湧いたかたいればおまちしてます」と投稿した。

    ※依頼あり
    ◆芸スポ+スレッド作成依頼スレ★1670 [Ailuropoda melanoleuca★] [愛の戦士★]
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1704679236/286

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     “くびれの女王”と呼ばれ、2000年代前半にグラビアバラエティー番組で活躍した杏さゆりさん。日本中の男性を虜にした彼女だが、人気絶頂期の給料はなんと10万円。さらに所属した芸能事務所により給料をゼロにされてしまう。精神的に追い込まれ、ついには躁うつ病パニック障害を併発していたという――。(全3回の1回目/続きを読む

    ◆◆◆

    「めちゃくちゃクビレがいいね」人気に火がついたヤンジャン

    ――そもそも芸能界入りのきっかけは。

    杏 中学生の頃、竹下通りでスカウトされました。女優になりたくて、演技がやりたいと言っていたんですけど、当時の社長から「売れたら何でもできるからとりあえず水着になっとけ」と言われて、分かりましたって。中学生なので何もわからなくて。

     そこからオーディションをいろいろ受けて、『いつみても波瀾万丈』の再現VTRで、麻丘めぐみさんを演じたこともありました。そういうことをやっているうちに高1で受けた「ミスヤングマガジン」に合格して。

    ――今の「ミスマガジン」ですね。杏さんは2000年の準グランプリ4人のうちの1人で、その年のグランプリは川村亜紀さんでした。

    杏 1年間ヤンマガで活動して、ラジオにも出演しました。2001年に初めての写真集を作るんですけど、その時のカメラマンが「めちゃくちゃクビレがいいね」と褒めてくれて。

     そのカメラマンが私を勝手にヤングジャンプに売り込んでくれて、そこからグラビアにどんどん出るようになりました。

    ――ライバル誌に、よくすぐにいけましたね。

    杏 ねえ。私もびっくりなんですけど(笑)2000年グランプリ、準グランプリ5人の中でも人気が最下位だったからあんまり期待されてなかったんだと思います(笑)

     父が転勤したので、高校を卒業してからイギリスに行きました。事務所には「大きい仕事があったら戻って来てね」とは言われてたんですが、3カ月たって、一度日本に戻ってきたら人気に火がついちゃっていて。「ヤンジャンに出てるあの子は誰なんだ」とテレビからのオファーもすごく来てたんです。

     日本に戻ると1カ月びっちりスケジュールが埋まっていて。それをこなすと、またイギリスに帰る。そうすると「今度はいつ帰って来れるんだ」と言われて。結局2年間くらい日本とイギリスを行ったり来たりしてました。

    ――それだけ忙しいのに当時、給料が払われてなかったそうですね。

    人気絶頂なのに給料が10万円

    杏 払われてないですね。私から事務所に請求しないともらえなくて。でも大量に仕事をしているともう分かんなくなるじゃないですか。日本に帰国してNHK教育(現Eテレ)の『100語でスタート英会話』に出演するくらいで給料が月10万円と決まって。そこからもう鬼のように仕事がずっとありましたけど、ずっと変わらず10万円でした。

    ――人気絶頂で10万円......。さすがに安すぎますよね。いつ頃からおかしいと考え始めるんですか。

    杏 テレビバラエティー番組に出始めたときです。楽屋で共演するグラビアアイドルの子たちがブランド物で身を着飾っていて。一方、私は撮影先のバリで買った安い麻のカバンに、服も衣装さんから安く買ったやつ。そうするとほかの女の子たちとも比べちゃいますよね。

     私もブランド品を持ちたいなと思って、両親に「給料を上げてほしいと言ってみようかな」と相談したら父親から「給料は自分から言って上げてもらうもんじゃない。上げてもらえるまで黙ってろ」って言われて。それで言わずにいたら、みるみるうちに事務所が大きくなっていくわけですよ(笑)。当時、所属していたのは私一人なのに。

     最初は原宿のマクドナルドの上にある小さい1部屋だったのが、同じビルの違う部屋に社長室ができて、向かいのマンションにスタジオ作って.......となって。車もアルファードとかベンツを買ってました。でも当時のマネージャーさんは免許を持ってなかったので、誰のために買ったのって。

    ――明らかに何かが変ですよね。

    給料を上げてと言ったら、なぜか0円に

    杏 社長もブランド物を着るようなタイプではなかったんですけど、久しぶりに会ったら全身プラダになっていて。プラダスポーツ着てましたね。赤いラインの。

     あるとき社長室に行ったら、パソコンスクリーンセーバーに社長が外国人とビーチでイエーイってやっている写真がスコンスコンと出てきて。ああ、もうこれは言おうと思って、今度は両親に相談せず社長に「給料を30万に上げてほしい」って話したんです。

    ――当時の杏さんの売れ方からしたら、それでもかわいいもんですね。

    杏 名前は言えないですけど、私より全然売れていないグラビアの子でも手取り70万円とか80万円とかもらっている子はザラにいたらしいんですよ。

     それで給料を上げてと言ったら「わかった」って言ってもらえて。喜んでいたら、その月から10万円の給料すら入らなくなっちゃって......。

    ――えっ、0円。それ、どうやって暮らしていくんですか。

    杏 部屋は借りてもらってたんですけど、家賃滞納の赤紙みたいなやつがいつも来ていて、ご飯もロケ弁を持って帰っていました。

     スケジュールもパンパンで休みなし。一番ひどかったときは、昼前からNHK英会話番組の収録をやって、収録後にその冊子の撮影。そこからドラマの現場に向かって、夜中から朝日のシーンまでずっと撮って、電車で家に帰ってシャワーを浴びて30分横になって、また次のバラエティーの現場にいくという感じで。

    ――給料についてその後、話す機会はあったんですか。

    杏 ないですね。社長とも1年に1回会うか会わないかぐらいだったのですごい放置されてました。

     それに当時は仕事しかしてなかったし、相談するような友達が本当にいなくて。唯一六本木のバーに面倒見のいいお姉さんがいて、お金がないからタダで飲ませてくれてたんです。「タクシー代あげるから帰りな」って言ってくれる人で、そこが憩いの場だったんです。

     ストレスはずっと感じていて、だんだん心臓がバクバクと動悸したり、すごく元気になったと思ったら、だるくて全く起き上がれないときがあるようになってました。

     そんな時、バーのお姉さんに「あんた、ちょっと躁うつ病っぽいから病院に行ってきな」って言われて、紹介してもらった病院に行ったら躁うつ病パニック障害だって診断されました。

    「正直、その頃の記憶が今もあまりないんです」

    ――その環境だとメンタルは当然やられますよね。

    杏 夜も寝れなかったから病院で薬ももらったんですが、でもバラエティーの仕事ってテンションを上げないといけないじゃないですか。安定剤を飲むと落ち着いちゃうので、飲まないで現場に行くんですよ。

     そうすると仕事ではワーッて上がるんですけど「お疲れ様でした」と言ってタクシーに乗った瞬間に一気に死体のようにガクンって力が落ちる。それを繰り返していたら、ますます酷くなって。正直、その頃の記憶が今もあまりないんですよ。

     さらに「BUBKA」に、“杏さゆりイケメン六本木のバーに来て飲んで騒いでる”って記事を書かれて。

     実際はバーのお姉さんがお客のおじさんたちに私がちょっかいをかけられないように、店員の子を隣に座らせてガードしてくれていたんです。その子がイケメンだっただけで嘘情報なんですが、書かれたことでお姉さんから「もう危ないから、店には来ない方がいいよ」と言われて、ますます追い詰められて。

    ――唯一の相談相手まで失ったわけですね。

    痩せすぎで小さ目のブランドパンツがブカブカに

    杏 ある日、布団で寝ていたら、石の枕に、剣山のスプリンベッドに、包丁の刃がこっちに向いた掛け布団をかけているぐらい、皮膚に触れるもの全てが痛くて寝られないんです。

     たまたま父親からその時に電話がかかって状況を説明するじゃないですか。そうしたら両親は当時台湾に住んでいたんですけど、やばいとなって、母親が一緒についてくれることになって。

     仕事が終わって帰るといつも母親がマンションの下まで迎えに来てくれて、立ち上がれない私の肩を組んで、部屋まで連れて行ってくれていました。

    ――食事はちゃんと取れていたんですか。

    杏 母親がごはんを作ってくれたり、躁うつの躁のときに食べていましたけど、痩せてましたね。

     MOUSSYってブランドパンツあるじゃないですか。あれって普通のサイズのものより1、2サイズ小さめだと思うんですが、それの23インチぐらいが当時はブカブカで。ヤバくないですか(笑)

     病気が治った後もそのパンツだけは戒めに持っていたんですけど、普通の体重に戻ったときにはいたら全然はけないんですよ。膝上あたりで止まっちゃうんですよ。怖いですよね。

     痩せている頃、ドラマを撮ってたんですけど、現場のメイクさんに私が痩せすぎているから薬物を使用してるんじゃないかと心配されていました。

    「でっかいヌーブラと競泳用のアンダーパンツを用意して」脱がされまいと3、4時間戦った…杏さゆりが語る、壮絶なグラビア撮影の記憶〉へ続く

    (徳重 龍徳)

    OIF

    杏さゆりさん ©山元茂樹/文藝春秋


    (出典 news.nicovideo.jp)


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