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    カテゴリ: 訃報・追悼

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    1 冬月記者 ★ :2024/01/01(月) 06:41:27.46 ID:7d4fEAja9
    https://news.yahoo.co.jp/articles/5d387e40db8dc9c06868f64a8761659631157fa7
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    中田カウスが明かした坂田利夫さん秘話「長く付き合っていた彼女はいました」

     29日に老衰のため82歳で亡くなったお笑い芸人の坂田利夫(さかた・としお、本名・地神利夫=じがみ・としお)さんの訃報が伝わってから一夜明けた31日、後輩の吉本芸人らの追悼コメントが相次いだ。

     中田カウス(74)は生涯結婚しなかった坂田さんに、長く付き合っていた彼女がいたという秘話を明かした。

     出番のあった大阪・なんばグランド花月入りの際、本紙の取材に応じたカウスは「体を壊してたんで、ずっと心配してました」と寂しそうに思いを吐露。「私より半年早く漫才のコンビを組んでたので兄さん、兄さんと呼んでました」と長い付き合いを振り返った。

     漫才に関しては芸風こそ異なったもののプライベートでは長く、いい付き合いだった。坂田さんが家に泊まりに来たことも多く、新婚当時には「私と嫁さんの間に入ってきて、3人で川の字で寝たことも」。かつてプレゼントしてくれた高級ブランド「ルイ・ヴィトン」の財布が、30日の部屋掃除で出てきた直後に訃報を伝え聞いたという。


     独身の吉本タレントグループ「アローン会」の名誉会長を務めていた坂田さん。カウスは「長く付き合っていた彼女はいましたね」と“秘話”も明かした。

     妻の実家だった旅館に彼女と一緒に来たこともあったといい「その彼女が亡くなるまでいいお付き合いをしていました」と説明。

     豪華な毛皮を彼女にプレゼントしたこともあったそうで「独りで寂しいとかではなかったと思いますよ」と故人の思いを代弁した。

     そして「ピュアで、いい意味で子供のように純真な方でした。後輩にも慕われ、会社にも大事にしてもらった」と人柄をしのんだ。「あのキャラクターは持って生まれたモノでしょう。吉本の宝でした。もう出てこない」と悲しみに暮れていた。

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    1 jinjin ★ :2023/12/31(日) 09:07:20.36 ID:9orO+P789
    坂田利夫さん死去 看取った間寛平は憔悴 親交54年、最期まで“大先生”に寄り添い続け…


    「アホの坂田」の愛称で親しまれたお笑い芸人の坂田利夫(さかた・としお、本名・地神利夫=じがみ・としお)さんが29日、老衰のため大阪市内で死去した。82歳。大阪市出身。

    21年10月に亡くなった前田五郎さん(享年79)との漫才コンビ「コメディNo・1」で全国区の人気を誇り、「あ~りが~とさ~ん」「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」など数多くのギャグでも知られた。


    坂田さんの死に芸人仲間にも悲しみが広がっている。最後まで寄り添ったのは、後輩で吉本新喜劇ゼネラルマネジャーの間寛平(74)。
    30日に予定されていた仕事は全てキャンセルし、憔悴(しょうすい)しきっている様子だ。


    吉本の発表文書の中には「坂田は1964年にデビュー、1967年に前田五郎さん(故人)と漫才コンビ『コメディNo.1』を結成し、数々の賞を受賞。若手のころから、西川きよし・ヘレン夫妻と仲が良く、西川家に居候して3人で若い時代を切磋琢磨しました。『あっちこっち丁稚』(朝日放送)で共演した後輩の間寛平とは54年間の親交があり、先日は82歳の誕生日を間寛平夫妻にお祝いしてもらい、大変喜んでいました。最期も親族と間寛平夫妻に見守られながら息を引き取りました」と寛平が看取ったと明かされた。


    寛平は坂田さんが入居する施設を10日に1回ほどのペースで訪問。誕生日を祝う様子などを自身のSNSにアップし、坂田さんの近況をファンに報告していた。

    最後に坂田さんの姿が見られたのは11月27日の投稿。坂田さんの頭をなでる写真とともに「大先生ちょっと毛が生えてきてます」とうれしそうに報告していた。

    寛平は10月末に本紙の取材に「プリンなどを差し入れると“うまい、うまい”とおいしそうに食べてます」と明かし「胸の辺りをグリグリッとくすぐると“何するんや”って笑ってる。82歳やからなあ、早く良くなってほしい」と願っていた。

    昨年4月、なんばグランド花月で開かれた吉本興業創業110周年記念公演の新喜劇でも共演。
    坂田さんに「アホ!」と言われた寛平が「アホにアホ言われたら…もう帰れ!」と返すなど、レジェンド同士の掛け合いで観客を沸かせていた。

    長年にわたって吉本新喜劇で活躍した坂田さん。共演した多くの後輩も悲しみに暮れている。


    https://news.yahoo.co.jp/articles/ed30ae652871383f75dcdf8bcd1cda820d6b7896

    (出典 i.imgur.com)

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    1 鉄チーズ烏 ★ :2023/11/21(火) 22:51:30.31 ID:T4mTJ+R99
    国内 社会
    2023年11月21日
    https://www.dailyshincho.jp/article/2023/11211212/?all=1

    (出典 www.dailyshincho.com)


     11月18日、*学会の池田大作名誉会長が15日に老衰のため95歳で死去していたことが明らかになった。*学会といえば、数々の著名人を広告塔として利用してきたことが有名だが、元学会員でお笑いタレントの長井秀和氏(53)が、池田氏の寵愛を受けた芸能人たちについて明*。

     ***

    「芸人としてブレイクした頃、氷川きよし君やタッキーこと滝沢秀明君と三人で、池田先生に面会しました」

     と語るのは、お笑いタレントで、西東京市議を務める長井秀和氏(53)。両親共に学会員の家庭に生まれ、自身も学会の系列校・*学園の小中高を経て*大学まで通ったエリート信者だったが、2012年に学会を脱会した。

    「05年1月、八王子にある東京牧口記念会館で開かれた本部幹部会で、集まった千人ほどの学会員の前で池田先生から激励を受ける機会がありました。タッキーはNHK大河ドラマ『義経』の主演に抜てきされた頃でしたから、歴史モノ好きの池田先生は壇上でうれしそうにしていました。タッキーといえば、あのジャニーさんにも気に入られて、それに池田大作でしょ。クセの強い昭和のフィクサーたちから寵愛を受けていて、すごいなと思いましたよ」

    (以下略、続きはソースでご確認下さい)

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    ロックバンドX JAPAN」のギタリストhideさんが亡くなってから、25年が経つ。今年の命日だった5月2日には、YOSHIKIインスタグラムhideさんと過去に撮影したツーショットを公開し、「あの日以来、自分はhideへの想いを込めた曲を、何曲作曲したのだろう..? また会えるその日まで…」と綴っていた。そのhideさんの親族が20日、「どうしようか迷いましたが、やっぱり話します」とSNSファンに向けてあるお願いをしている。このポストには、「皆が大好きなhideちゃんだから、皆で守っていきたいです。迷わずに何度でもアナウンスして下さい」など、その胸中を察する声が多い。

    hideさんのオフィシャルマネージメント事務所株式会社ヘッドワックスオーガナイゼーション」代表取締役であり、実弟の松本裕士さんが、自身のX(ツイッター)に次のような文章を掲載した。

    沢山のお酒や、ジュースの缶、ビン、、
    ふたを開けたままお墓に置かないでください、
    開けていない缶も破裂していました、
    瓶は割れていました、、、沢山虫たちの餌食になっていました
    お墓に着いてしまったお酒やジュースの着色がとれません
    原文ママ

    そして、実際に置かれている缶や瓶の飲み物や変色した墓石の写真を添えて、「みなさんどうか、何も持って来なくて大丈夫ですから」「手を合わせるだけでちゃんと伝わりますから」とお墓参りは手ぶらでも構わないと述べている。松本さんは遠方からもたくさんのファンがお墓を訪れてくれるのを知っているだけに、今回のような投稿をすることは大変心苦しい気持ちだったようだ。

    かつて供物は持ち帰らずそのままにしておくのが良しとされていたが、今では供物を置いたままにするとカラスや動物などが荒らしたりすることがあるので、「その場で食べるか、持ち帰る」のが墓参りマナーとされている。今回の松本さんの投稿には、「お供えして持って帰って飲んでもいいのかな?」、「若い人や経験ない方は作法を知らない方もいらっしゃるでしょう」といった声が見受けられたので、より多くの人が「供物の持ち帰り」を心得てくれるのではないだろうか。

    画像は『Yoshiki 2023年5月2日Instagram「25 years ago today, Hide passed away.」』『HIROSHI “fatfree”MATSUMOTO 2023年11月20日付X「どうしようか迷いましたが、やっぱり話します、」』のスクリーンショット
    (TechinsightJapan編集部 みやび

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    (出典 news.nicovideo.jp)


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    1 ばーど ★ :2023/11/17(金) 11:48:22.04 ID:IAlOCz/89
     「愛は勝つ」が大ヒットした歌手のKAN(かん、本名木村和=きむら・かん)さんが死去したことが17日、分かった。61歳。福岡市出身。葬儀はすでに親族とごく近しい人たちで済ませている。死因は明らかにされていないが、今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していた。

    【写真】みんな聴いていました…KANさん「愛は勝つ」ジャケット写真

     昨年秋に数週間腹痛が継続したことから検査をしたところ、がんが判明。予定していたツアーを中止した。今年4月に再入院、5月に退院を報告していた。今月3日には一部楽曲のストリーミング配信を開始することを公式ホームページで発表。自身のSNSは7日まで更新されていた。ビートルズの「NOW AND THEN」のミュージックビデオの感想が最後の投稿となった。

    以下全文はソース

    https://news.yahoo.co.jp/articles/f6fbb1f378c3d7facfda085ca4e48fd09b7a82e0

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